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falchionz’s diary

おもに音楽、読書、ゲームについて感じたことや日々の仕事で感じたことをつらつらと記載します。

自己容認

ここ数年、仕事、家庭、人間関係、すべてにおいて自信の無い日々だった。
今から4年くらい前まで、仕事も家庭もすべて順調そのものだった。
開発グループのマネージャーとして複数のPLを従えて案件を切り盛りする毎日だった。
だが、ある案件の進捗の遅れの深刻さを見抜けず、普通にやっていてはリカバリできない事態に陥ってしまい、
急転直下、その案件の仕事以外の案件からすべて手を引かされた。
そこから状況は悪化の一途をたどっていった。
残った案件の建て直しのためにパートナーの開発現場に常駐することとなり、
常に進捗チェックと上長への報告を毎日求められる日々・・・
自分のやり方が真っ向から否定され、言われた方針に従って必死にプロジェクトを立て直す日々・・・
負け犬な自分にはどんなことを言ったって所詮負け犬なんだから俺のやり方に従えと
言わんばかりの上長。。。
自分が悪いと思ってるから言い返せない、何か言ってもすぐやり込められてしまう日々。。。
部下に自分の考えに基づき指示を出しても、上長に報告すると180度違うことを言われ
朝令暮改の日々、、、落ちる部下の指揮、自分自身も何が正解なのかもはや正常な判断が難しい状況まで
追い込まれていった。。。
そんな状態でも何とかプロジェクトとしては収めることができたわけだが、
失ったものも多かった。
同僚、部下の退職などもあったし、既存案件をすべて手放してしまったのでグループ員を
養うだけの案件が無い。残ったメンバーも案件ごと他のグループに吸収されるなど、
肩身の狭い思いをさせたように思う。
何より、自分自身の仕事に対する誇りとか、自身とか、そういったものの大部分がこのとき失われてしまったように思う。

それでも人間、生きていくためには仕事する必要があるわけで、
自分に自身が無いこんな私でも、今までの経験値を買われてとある案件の客先に準委任契約で常駐することになった。
うちの会社は、任月商売ではなく、請負による自社開発をメインにやってきてるので、
ある意味落ちぶれた感はここに極まった感があったが、当時は自社で居場所も無かったし、自社に準委任契約で
派遣されてる人たちって、どんな気分なんだろうという半ば興味本位もあり、この話を受けた次第だ。

常駐先の現場では、プロジェクトルームと呼ばれる狭苦しい部屋にコンサル、PM、SEがパイプいすと長机と
ホワイトボードだけある部屋に押し込められ、コンサルに同行して現状業務のヒアリングを実施するようなことを実施した。
環境は劣悪だったが、自社の人間からとやかく言われない環境がこのときはありがたくもあった。
また、とりあえずは目の前の仕事に没頭できる環境というのもありがたかった。
また、他社に派遣される人間が、いかに気を使いながら仕事をしているかということも、いざ派遣される側になって
初めて気づくことができた。
ちょっとしたことだが、トイレに行くことだったり、部屋の入退室、帰っても大丈夫かそれとなく確認するとか、
結構プロパーに対して気を使ったり、自由が利かないことがいろいろあるということに気づいた。
今まで自分がどれだけ傲慢で、頭ごなしに指示をしたりしてきたことが恥ずかしく感じたりもした。
そんなこんなで、半年くらい客先常駐して、その後自社開発期間は自社に戻ってPMO活動を行い、
その後導入支援で再び客先に半年常駐を経て、無事システムの立ち上げを見届けてまた自社に戻った。

ただ、もはや自分のグループなんて無いし、常駐の際のチームも借り物のアサインだったので、
ほぼゼロベースで社内の居場所を作る必要があった。
とりあえずの身の寄せどころとして、常駐する際の母体となったグループに身を寄せさせてもらうこととなった。

新規案件をいくつかこなすものの、折れた心は癒えておらず、常に自身の無い状況だった。
それでも今までの経験を活かして、なんとかプロジェクトは立ち上げるものの、
自身のなさから積極的な姿勢を示すことができず、いつも収益的には低空飛行であった。
なかなか上昇気流に乗れない自分に対して、上長からは根気強く育てていこうという意識を感じる言葉を
かけてもらってはきたものの、具体的にどう打開すればよいのかは依然見えず、低空飛行を続けている状況が
ここ2,3年続いていた。

どうして状況が改善されていかないのか?
毎回上長(複数名いる)からいろいろな形で叱責を受けるたびに落ち込む日々に、
次第に自分は「うつ」や「社会不安障害」なのではないかと疑うようになった。
実際、心療内科をなんどか受診してみて、軽度うつの傾向があると言われたことはあったが、
処方された薬の依存度が高いことや禁断症状などを考えると常用する勇気がもてず、
結局何もしない日々が続いていた。

そんなときに、アドラー心理学の本「嫌われる勇気」に出会った。
この本は、
・トラウマからの脱却(原因論ではなく目的論)
・自己受容⇒他社信頼⇒他社貢献のサイクル
・承認欲求からの脱却
といった考えに転換する必要性を説いている。
はじめて読んだとき、目からウロコが落ちるくらい納得した。
ただ、頭では理解できたけど、それが行動や考え方にまで落ちてくるまでには至っていなかった。
最近、もう一度読んで、ようやく自身の考え方に変化を感じるようになってきた。

以前は、何か発言して、その内容に対して何か意見を言われると、
自分のすべてが否定されたような気がして絶望的な気分になったが、
今はもう少し引いた感じで、客観的に他人の意見を「そういう考えもあるよね。」
「あなたはそう考えたんですね。」と、
発言内容そのもののありのままに受け取れるようになってきた。
これは小さな変化だが、自分の中では考え方、感じ方が大きく変わりつつあることを感じられるエピソードだ。
今までの自分だったらこんなことを言われたら
自分の存在そのものを全否定された⇒認めてもらえなかった⇒こんな自分生きてる価値なし
と、どこまでも落ち込んでいく感じだったが、それが無くなった。
必要以上に落ち込むことがなくなったことで、少し、生きていくのが楽になった。

たぶんアドラー心理学の自己受容のところの、扉の入り口に経ったところくらいなのだろうが、
自分としては確かな手ごたえを感じるエピソードだ。

言われたことの意味をそのままに受け入れられるようになることで、
必要以上に他人を敵視するような感情が生まれなくなってきた。
まだ「他社信頼」とまでは行っていないが、その兆しが見えてきたように思う。

思えば、子供のころからネガティブでどっちかというと否定的な意見ばかり言ってきたように
思うが、こういった小さいときからのものの考えかた、捕らえ方の積み重ねも関係あるように思う。
数年前はこのまま落ちていくしかないと思っていたが、今はちょっとだけ上を見ていけそうな気がしている。

半年後とか、今よりも良い状態になっていることを期待したい。

嫌われる勇気

嫌われる勇気