falchionz’s diary

おもに音楽、読書、ゲームについて感じたことや日々の仕事で感じたことをつらつらと記載します。

もうちょっと真剣に生きようと思う。

さっき、この記事を読んだ。

papuriko.hatenablog.com

我が家も家事の問題で何度もぶつかってるので、改めて身につまされる記事であった。

いや、これでも多少は家事をやっている。

週末は朝ごはん作ったり、風呂掃除したり、布団の上げ下ろししたりと、多少のことはやっている。

ただ、妻からすると全然満足してない。

むしろ、私の当事者意識の足りなさにイライラが募る毎日の様子。

正直、全然感謝されないし費用対効果悪すぎ!!

と思ってしまうのだが、

 

モラハラ。相手からの要望に対してキレる、超論理展開などをして、言いなりにさせようとする。 話し合い能力の欠如。2人で問題に取り組んで落としどころを見つけずに、自分の要望をごり押ししようとする。 当事者意識の欠如。家事=家のこと=2人の共通認識という認識がなく、自分から切り離している。 家事の軽視。「男は家事をやらなくてもいい」「雑用なんて俺の仕事ではない」という考え。 疲れ。家事に割けるリソースが不足している。 スキル格差。できる人とできない人の能力差。できない方が、学習コストが高く、時間もかかり、ストレスもかかる。

女たちはもっとカジュアルに「家事離婚」すればいいよ - 妖怪男ウォッチ

 この辺をさっきのブログで読んで、自分ももう少し当事者意識とか、妻との話し合いとかをしていかないといかんなと思った。

結婚して10年くらいになるが、喧嘩なんて日常茶飯事で、ほんとちょっとしたことで一瞬即発で戦争が勃発する。

妻も頑固というか、自分の考え方に確固たるものを持っているので、私からすると融通の利かない性格で、正直周りともっと折り合ったり、期待値下げたりした方が生きやすいんじゃないの?って思うような人なんだが、それだけ一つ一つのことや人に対して真剣に生きているということなのかなと思う。

一方の自分はといえば、確固たる自分の信念なんか持ち合わせておらず、結果が良ければなんでもいんじゃね?って感じで一事が万事こだわりがない。

本音いえば家のことだって、やれる方がやればいいじゃん。

といった感覚なので、妻がそこまで怒らなくてもいいんじゃないだろうかと思うことはしばしば。

あと、最近は話を聞き流していて、あとから週末の予定とかを確認すると烈火のごとく怒られる。

この辺はもう少ししっかり聞かないといかんなと思うのと、かなりの頻度で怒られているので、いい加減自分はボケてるのではないかと、心配になってきた。

もうちょっと真剣に生きようと思う。

 

小説「野火」を読んで

大岡昇平の野火の文庫を読んだ。

 

野火 (新潮文庫)

野火 (新潮文庫)

 

 全然知らなかったけど、昨年の夏に映画がやっていたようだ。

 

野火 [Blu-ray]

野火 [Blu-ray]

 

 市川崑が監督した映画もある。

 

野火

野火

 

アマゾンプライムビデオで、戦争映画を探していた時に、この顔のインパクトから興味を持ったのがきっかけだった。

映像で見るとかなりどぎつそうな内容なので、小心者の自分としてはまずは文章から入ろうと思って文庫を購入した。

私は、良い小説は読んでいるときにあたかもそのシーンが目の前にあるかのようにイメージできるような、情感豊かな描写がされている小説が好きなわけだが、この小説の情景描写はそんなきれいごとでは済まないほど、鬼気迫る内容であった。

酷暑の中、行き場を失った田村一等兵の心情とは裏腹に、どこまでも突き抜けるような青い空と、深い緑、自然の美しさと、おかれている状況の悲惨さが泣けるほどの対比を生み出している。

そして、生きるために人の肉を食べざるをえなかった状況と、その心理描写の表現、最初猿の肉だと松永に言われて田村はむさぼり食うわけだが、読んでいる自分からすると人肉だということがわかるわけで、ただ田村も薄々気づいてはいるものの、食べずにはいられないという、そういった心理状況が透けて見えるような、ものすごく研ぎ澄まされた文章表現だと思う。

レイテ島の最後クライマックスとなる、松永を打とうとするところなんかは、目の前で繰り広げられているかのようなリアリティだ。

文章で読んでこれだけのリアリティなものを、映画で映像表現として見た時に、直視することに耐えられるのだろうか?

というか、小説に引けを取らないクオリティの作品なのだろうか?

2015年版にはレイテに実際に戦争に行った人たちのインタビューも収録されているようなのでいつか見てみたいと思う。

祖父は自分が生まれた時にはすでに亡くなっていて、祖母ももう10年くらい前にはなくなってしまっているので、戦争をリアルに体験している人は身内にはすでにいなくなっているが、父は祖父や祖母から戦争体験についていろいろ聞いているはずなので、今のうちにその辺の話をじっくり聞いておきたい。

最近、父も70代になってめっきり老けてきたので、元気なうちにちゃんと話を聞いておかないとなと思う今日この頃である。